望むのは争う事じゃなく、
ただ友達として傍にいること。
恋する事が罪ならば
『・・・・・・・・どうした・・・?』
『喧嘩、売られた。』
口元についた血をぬぐいながら、少女は返答する。
幾分も小さなその姿は、自分の足でしっかりと大地を歩いていた。
それは当然の事なのだが、この少女に限って、より足踏みに息吹を感じる。
『・・・・・・・・・・・・何時も喧嘩しているな・・・。』
顔についた血を親指でぬぐうと、少女は擽ったそうに顔を歪めた。
あたりはもう薄暗くなっているが、親は心配しないのだろうか。
何時も、こんなに血をつけて遅くに帰るなんて。
『突然襲われるの。
手加減できないから、こんな風になっちゃう。』
笑いながらそう言う理由が、それだけ襲われる事が日常であると察する。
何故こんな少女を襲うのだろう、何か理由があるのだろうか。
この少女が嘘をついているようには決して見えない。
だがその血の殆どが少女のものではなかった。
『皆、私を倒したいんだって。』
『・・・・・倒し・・・たい・・・・・・・?』
毎日襲われている理由が、倒したい、とは。
屈強な男が言うのであれば納得もできる台詞。
しかし言うのは、細く小さな少女だ。
『・・・・・・とにかく今日は早く帰ったほうが良い・・・。』
その頃、平行して起こっている事件があったからこそ、よけいに心配になる。
事件が新聞で報じられない日が無いからこそ、不安は募っていた。
最近ではこの近所でも、事件が起きたと言うのだから。
『親が、心配する・・・。』
『うん。そうだね。』
短調に返された返事の意味をもっと分かる事が出来たら、もっと良かったろう。
少女にはもう親が存在しない事を知ったのは、それから随分後で。
とんっ、とんっ、と飛び跳ねるように去って行く少女。
夕闇に真っ直ぐに向かって良く。
『なんで皆、私と戦いたがるんだろ。』
足音が止まって、そんな声が聞こえてきた。
少女が心配になって帰れずに居たため、その言葉は鮮明に聞こえる。
聞き違いではないだろう、少女は確かに話しかけている。
『私は、友達になりたいだけなのに、ね。』
くるりと、振り返った。
闇に溶け込んで行く髪が、ふわりと舞い上がる。
思いがけないその少女の大人びた仕草が、今でも頭に残っている。
「・・・・・・久しぶりだな、。」
「流、さん・・・?」
振り向くと、そこに立っていたのは五輪高校の流だった。
独特の塩素の匂いを漂わせ、流はに目線をあわせ膝を屈める。
「具合でも、悪いのか・・・?」
質問を繰り返す。
そんなに顔色が悪かっただろうかと、は笑った。
「いいえ、大丈夫ですよ。」
そう言うと、流は安心したように微笑む。
優しい目をした人だと、純粋に思う。
不思議な人だが、決して悪い人ではない。
それはも流を知る人も誰もが分かっている。
「今帰りですか?それとも夏祭りに?」
「いや・・・帰る途中だったんだが・・・・・・・。」
途中でが見えて、声をかけた、と。
きっと今日もさっきまでプールで泳いでいたのだろう。
何時見ても大体、この人は泳いでいる。
好きな事があって、それを好きなだけできる。
少しだけ、羨ましいと感じてしまう。
「流さんは本当に泳ぐ事が好きなんですね。」
水が嫌いな自分とは大違いで。
色んな者から逃げている自分とは大違いで。
夢中になれるものがあればそんな事無くなるだろうか。
もし何か好きな事ができたら、それに専念できるだろうか。
「・・・・・・・あぁ、そうだな。」
流はあまり口数の多いほうではない。
逆にそれが安心できる。
彼だけは、に何も求めてこない。
「・・・・・・・・・お前は、泳げないんだったな。」
「お恥ずかしながら。」
苦笑いすると、そんなに気にする事は無い、と返ってくる。
それから暫く沈黙が続き、ゆっくりとした時間が感じられた。
流と居るときはいつもそう感じる。
「・・・・・友達は、出来たか?」
「はい、沢山。」
まだ何一つ本当の事を話していない友達。
争いから逃げた先にいてくれた友達。
戦いに向かう途中に居た友達。
沢山いても、その中にまだ真実を知る者は居ない。
偽った自分を、隠している自分を慕ってくれている人達。
「・・・・・・・・そうか、それは良かった・・・。」
流が優しそうに微笑む姿は昔から変わらなくて。
血だらけの時に出会った変わり者。
後にも先にも、この人が最後だろう。
あんな姿のときに、あんな事を言ったのは。
「・・・流さん、変わらないなぁ。」
その不思議な性格から、あまり人付き合いは広くない。
だが昔から変わらず、流は誰にたいしても同じように接する。
ゆっくりとした話し方も、少しぼうっとした印象をうける顔つきも。
水中に入ると別人になるようなところも。
ずっと、変わらずにいる。
「・・・・・・・・お前も、変わらない・・・。」
「そうですか?」
変わったというより、封じている。
過去の自分を、あるべき自分を。
昔はまだ小さく力も今より無かったからこそ、加減しなくてもよかった。
だがある程度、体つきもしっかりしてきた今となっては、そうもいかない。
下手をすれば誰かを殺してしまう可能性だってある。
「・・・小さな頃は、皆私より大きかったんですよ。
私は凄く小さくて、でも今はある程度、同じくらいの大きさでしょう?
そりゃあ、小さいほうですけれど。」
小さな頃の本気は、今ではその倍になっている。
人は成長する、力もついてくる。
それは当然の事、おかしな事ではない。
けれどそれが仇となってしまう事もあるのだ。
「・・・・・・・・そんな小さな頃から、頑張ってたな・・・。」
「そんなこと言うの流さんだけですよ?」
面白おかしそうに笑って、は空を見上げる。
丁度、花火が一つ上がり夜空に映えた。
眩しそうに目を細めると、流が言った。
「・・・そんなに、無理しなくて良い・・・。」
一体何処の誰がそんな事を言ってくれたろう。
その言葉だけで、は胸がいっぱいになる。
この人はなんてやさしい人なのだろう。
「・・・・・・・流さん。」
花火で掻き消されそうなくらい微弱な声で、呼ぶ。
それでも流には、しっかり聞こえていた。
「・・・元々争う必要の無い人間が、争う事は無い・・・。」
途切れ途切れに聞こえてくる言葉。
そう、こうして、昔から変わらずに。
優しい言葉をかけてくれる流が酷く眩しい。
「・・・・・綺麗ですねぇ。」
不思議な笑い方をしていたと思う。
花火よりも何よりも。
目の前の流がとても綺麗に見えた。
「流さん、夏祭りにでも行きましょうか。
金魚すくいやりましょう、それからたこ焼き食べましょう。」
すくっと立ちあがり、流の手を引っ張る。
小さい頃、こうやって祭りに無理に連れて行った。
流は面倒見が良いのだろう、ちゃんとついてきてくれた。
迷子にならないように、目を離さずに見ていてくれた。
「・・・・・・・あぁ、行こう・・・。」
ずっとそうやって微笑んでいて欲しい。
純粋にそう思える人だと思う。
何があっても、この人には幸せになって欲しいと思う。
「・・・。」
「はいっ!」
楽しそうに夏祭りに向かう姿。
祭りで何をするかと考えてはしゃぐ姿。
何時までたっても変わらないでいることが。
幸せに感じられる事こそ、幸せで。
「・・・・・・・・・来年も来れると良いな。」
「来ますよ、絶対、一緒に!」
その約束を、二人は決して忘れなかった。
決して、忘れなかった。
続く。