出来る事ならば、
ちゃんと護っていてあげたかった。
恋する事が罪ならば
『しょーまは野球が好きだねぇ。』
『あたりまえだろ!』
公園の空き地で、体より大きなバットを振るう近所の少年、将馬。
その兄である修一が、その様子を楽しそうに眺めている。
兄弟して野球が好きな羨ましい兄弟だと思う。
『私にも出きるかな、野球。』
『やりたいのか?』
その発言に、修一が尋ね返す。
一瞬だけ嬉しそうな顔をしたが、それはすぐ消えた。
そして将馬の手からボールを取って、言った。
『ううん、できない。』
『なんでだよ、一緒にやろうぜ!!』
将馬がそのボール投げてみろとばかりに手を大きく上げる。
暫くそれをじっと眺め、軽く手首を振って投げる。
ぱんっ、と綺麗な音がしてボールが将馬の手に収まった。
『出来ない理由でもあるのかい?』
修一が聞くと、空を仰いで目を瞑った。
空は雲が泳ぐ青が称えられた天気だったのを覚えている。
『奪われちゃうから、駄目なの。』
それから1年間。
が外に出るのを見たことが一度も無かった。
家を尋ねれば入れてくれはしたものの、外には出てくれなかった。
やがて小学校に上がり、別の学校だったため会う事も無くなってしまった。
「兄貴!あれ、じゃないか!?」
最初に気付いたのは将馬だった。
今日開催の五輪祭に来ている客中の、見覚えのある人物。
随分昔に会わなくなってから随分経っているが、変わっていない姿。
「あぁ、本当だ。来ていたんだね。」
ジャスティス学園の制服を着て、夏と共に歩いている。
学園代表でエキビジョンマッチに出るのだろうか。
噂では太P戦の勝敗を分けたほどの人間が出るらしいが。
「行って来ないのか、将馬。」
「久々すぎてなんて声かけるかわかんねーや!!」
興奮気味に言って、将馬はから目をそらす。
そのまま背を向けて、歩き去ろうと思った。
「わ、忘れられてたら、悲しいし・・・。」
もし話しかけても、忘れられていたらとても悲しい。
は昔から変わらない表情で居る。
なのに、覚えているのが自分だけなんて、悲しすぎる。
「・・・そんな事は無いさ。」
修一が、将馬を引きとめる。
それとほぼ同時に、背後から声が聞こえた。
「将馬!修一さん!」
懐かしい呼び声。
将馬は勢い良く振り返る。
べごんッ!!!
「痛ァッ!!!」
将馬があまりに勢い良く振り返りすぎたため、長いバットがにあたってしまった。
しかも思いっきり顔面に、横からジャストヒットで。
未だかつて将馬にバットで殴られるヒロインが居たろうか。
いや、多分いなかったと記憶している。
「わっ、悪ィ・・・。」
悪いとかそう言うレベルではないのだが。
普通なら痛いところか血を出して倒れているだろう。
流石のも、あまりの不意打ちに避けられなかった。
避けられなかった原因は、将馬に敵意が無かった事だ。
敵意がある人間にならば警戒して近づくため簡単に避られる。
「だっ、大丈夫か!?さん!?」
修一が目の回っているの肩を叩く。
すると目覚めたようにはっとして、痛そうに顔を歪めた。
「痛い。」
「ご、ごめん・・・。」
冷や汗を掻きつつ、将馬は謝罪をする。
するとは可笑しそうに笑い将馬の肩を叩いた。
「数年ぶりだね、元気そうで何よりだよ!」
寧ろが元気そうなのが不思議なのだが。
流石はジャスティス学園の生徒というべきなのだろうか。
一般人なら病院に行かなければならないだろう。
ある意味、当たったのがで良かったのかもしれない。
そんな事を考える時点で良い事ではないのだが。
とりあえずは大丈夫そうなので、安心する。
「あれから連絡とれなくなっちまって・・・心配したんだぜ!?」
「ごめんねぇ。」
笑いながら、は腕をまくる。
ふと、の手にバットが握られている事に気付く。
「ホームラン競争にでるのか?」
修一がたずねると、は大きく頷いた。
金属性の比較的新しいバットを振り翳し、将馬に向ける。
「投げるの将馬なんでしょう?」
「あぁ、そうだけど・・・って相手はお前なのか!?」
ジャスティス学園の生徒の代表として、負けられない。
勿論将馬とて、五輪高校の代表として負けるわけには行かない。
因みに今回が何の抵抗もせずに出場に至った理由は簡単。
雹が、勝てばブランビジュのケーキを好きなだけ奢ってやると言うのだ。
これは出ないほうが可笑しいだろう、とは意気込んでいる。
「二人とも、そろそろ行かないと。」
修一がそう言うと、既に場内では二人の出番を待っていた。
話しに夢中になりすぎていて、すっかり出番を忘れていた。
遠くで夏が笑っているのを見ると、妙に恥ずかしくなる。
二人は急いで走り場内のマウンドへと立った。
「絶対打たせないからな!!」
「お手柔らかに。」
がバットを握り締め、将馬も意気込んでボールを握る。
二人とも、構えを取ろうと足を踏みしめた。
だが不意に将馬は動きを止める。
「・・・一つだけ聞きたい事があるんだけどよ。」
あたりがざわざわとしているが、その声はしっかりと耳に届いた。
もバットを握る手を強めながら、将馬の目を見据える。
「一体、何を奪われるんだ?」
奪われるから、野球は出来ないと。
そう言って消えて行った。
あれからずっと考えていた。
知りたかった、彼女が、どうして消えたのか。
「・・・。」
は黙り込んで、バットの先端を一度地に付ける。
場外の生徒達や客席から、どうしたのかと不信の声が聞こえた。
まさか競技を止めるとでも言い出すのだろうか。
場外が不安になっている中、将馬は待ちつづけていた。
だがは、バットを構えなおし、同時に笑う。
「将馬が私を越えたら、教えてあげる。」
不敵なその目が、言葉が。
将馬の胸にやけに強く焼きついた。
ボールを高く、空に叩きつけるように振りかざす。
そして、ボールはに向かって勢い良く投げられた。
***
「・・・・・・アンタ凄いよね。」
「お恥ずかしながら・・・ッ。」
隣には苦笑いを浮かべる夏。
目の前には保健室で眠る将馬。
そう、あのエキビジョンマッチの結果がこれ。
「仕返しか何か?」
「断じてそんな事は・・・ッ。」
俯き加減で手を握り、少々青ざめながら否定する。
まさか自分でもこんな事になるとは思っていなかったのだろう。
打ったボールが、まさか将馬の顔面に当たるなどとは。
遠くで見ていた雹も思わず目を背けていたのをしっかり確認した。
「・・・しかも他の投球する筈だった野球部員も全員投げたくないって辞退しちゃって。」
の反応を楽しむように、夏は笑いながら言う。
五輪祭始まって以来の出来事に実行委員も全員困っているのだ。
まだ結果は出ておらず、最終イベントだったため時間が押している。
「でも偶然は仕方ないわよ。」
夏がそう言って背中を叩くと、嬉しそうに笑う。
今回の事で、夏は今までが何故こんなイベントに出ようとしなかったのか分かった。
やらなければ目立つ事が無い、それは当然の事である。
だが目立ち方がは他と違うのだ。
「まぁ、それもの個性だからね。」
夏の心遣いが嬉しいやら悲しいやら。
は昔から変な所で目立つ癖がある。
予めそうなるよう仕組まれていると思えるほどに。
狙っていないのにそうなってしまう天然危険物。
「・・・・・・・居るか。」
その時突然、保健室に流が入ってきた。
は立ちあがってそれを迎え入れる。
「外で・・・修一が待っている・・・・・・。」
それを聞かされて、は夏を振り返った。
だがそれより早く優しく笑った夏がの背を押す。
「行っておいで。」
このまま結果が出なければ、更に面倒な事になる。
修一が待っている場所に何があるのかはまだ分からない。
でも、呼ばれたからには、行かなくては。
は急いで校舎を出て、修一の元へ向かった。
「、こっちだ!」
観客に囲まれて、グローブをはめ、マウンドでを呼ぶ声。
修一のものだとはすぐ気付いたがまさかマウンドからとは思わずに。
は暫く、修一の姿を探していた。
「あっちだ・・・・・・。」
流に促されて、はマウンドを見る。
目線の先にいたのは、ずっといないと思っていた、修一。
まさか、修一が投げてくれると言うのだろうか。
「修一さん!?」
「俺が投げるから、そこに立って!」
は大急ぎでバットを借り、マウンドに立つ。
待ち構えていたように、修一も観客も、遠くで雹も、満足そうな顔をしている。
「・・・懐かしいなぁ。」
修一が構えながらそんな事を言う。
会わなくなるまではよくこうして、将馬も交えて遊んでいた。
何故会えなくなったか、何故が外に出なくなったか。
一切、修一は追究しようとしなかった。
そのさり気無い気遣いが嬉しくて。
甘えてしまいそうになるときもあった。
今だって、こうして、出るはずの無かった修一が出てきていて。
「さ、構えて。
遠慮はいらないから、思いっきり打つと良い。」
言われた通りに、は構える。
あたりが静寂に包まれるような気がした。
観客の声も聞こえなくなるくらい、集中して。
向かってくる球を、ただ強く打ち付けた。
その日、はエキビジョンマッチのMVPに選ばれた。
「やっぱりは凄いよ。」
「・・・修一さん。」
昔から気付いていた。
の飛び抜けた能力と、才能。
何をやっても、必ず常人以上の結果を出した。
「会えなくなってからも、色々噂は聞いてたんだけどね。」
笑いながら言う姿を、はただ見ていた。
昔から修一には甘え過ぎている。
家から出なくなってからも、その前からも。
「・・・君ちゃんと、平和に暮らしているって信じてきた。」
会えなくなってからずっと。
の身を案じていた。
が一度だけ、修一にだけ告げた言葉。
それがずっと、修一の心に引っかかっていて。
「・・・・・何にも邪魔されずに。
生きているって、勝手に信じてたんだよ。」
どこかの組織の人間に、は狙われていて。
外に出ることも出来ずに、1人、家にいつづけて。
響子も将馬も、誰もその事は知らなかったけれど。
修一ただ1人にだけ、その事実を告げていた。
「出来る事なら護ってあげたかったんだ。」
「修一さん・・・。」
の言葉を疑いもせずに。
修一はなるべくを1人にしないようにと。
彼女の家に、将馬を連れて通いつづけた。
1人にさせたら、すぐに狙われてしまう。
安心して眠れる時間だってなかったろうに。
狙われる理由はわからなかったが、それでも、狙われている事は事実だった。
「血まみれでいる君を見るたびに。
怪我をしているのを見るたびに。
何もしてやれないのが辛くなったんだ。」
怪我の存在は、響子や将馬も知っていた。
しかしはその怪我を、ずっと別の理由をつけてはぐらかしていた。
響子もそれを疑わずに、ただが不注意なだけなのだと思っていて。
けれど、修一にだけは告げた。
戦った傷跡なのだと、争った痕なのだと、告げた。
「・・・何も力になれなくて。」
「そんな事ありませんよ。」
切なく笑う修一に、は嬉しそうに笑って見せた。
その手にはまだ使った後のバットが握られている。
「修一さん、いっつも家に遊びに来てくれたじゃないですか。
凄く嬉しかったんですよ、本当に、凄く。」
1人でいなければ、狙われる事も無い。
けれど1番辛いのが、外で狙われる事。
外で一人になったときに狙われてしまえば、なんの用意も出来ない。
家にいれば何か罠を仕掛ける事も、武器も用意できる。
だからこそ外に出ることを止めた。
「・・・何より、大事な物が奪われなくて本当に良かった。」
それよりもっと恐れるべき事。
大事な物を奪われる事が、何より避けたかった。
野球も、人との付き合いも、何かを奪われたくなかった。
その結果が、誰かともう会えなくなる事だとしても。
「平和には過ごせないかも知れないんですけれど。
でも、きっと充実した毎日を送っています。」
ただ、その笑顔を護れれば良かった。
ただ、そうやって笑顔でいられる場所があれば良かった。
幼くして自分の身を1人で護らなければならなかった少女が。
ただ、幸せであれば良かった。
「・・・また野球やろうな、将馬も交えて。」
「はいっ、是非、お誘い下さい!」
ただ、幸せでいてほしかった。
続く。