恋する事が罪ならば
 

 



一人でいるときより安心できる時なんて、


ないと思ってた。






恋する事が罪ならば






「響子さん、お一人?」
「えぇ、一人よ。」

誰もいないことを確認し、は保健室に入る。
中では業務を終えた響子が弁当を広げようとしていた。
も手にしていた弁当袋を近くの机におき、小さな椅子を引っ張り出す。

「・・・・・・どうかしたの?」
「いや、響子さんのお弁当、シンプルだけど美味しそうだなって。」

決して豪華ではないが、簡単で彩りのある弁当。
羨ましそうにしながらは椅子を響子に近づけた。
響子は確かに、この学校に入ってから様子がおかしい。
それでも、と2人でいるときには何時もの優しい響子だった。

「お弁当は自分で作ってきてるの?」
「ううん、今日は友達が作ってきてくれたの。」

五輪高校に通う、鮎原夏。
中学時代、バレーの試合を見に言った時、たまたま友達になった。
料理が得意と言う夏は、の為に良く弁当を作ってくれる。
その代わり材料は提供という、ギブアンドテイクではあるのだが。

「・・・そう言えばの友達って見たことないわね。」
「あ、それなんか私に友達いないみたいな。」

は少し拗ねたように笑って、響子に顔を近づける。
響子も笑いながら、冗談よ、とこぼし箸で卵焼きを突ついていた。
だが確かに考えてみれば、響子は何時もが一人の場面しか見ない。
大抵も一人が多いため、それは疑問ではないのだが。

「じゃあ、今日友達呼ぶから一緒にご飯食べよう。」

と響子は時折、一緒にご飯を食べる。
響子の家事の手伝いもあるのだが、料理は特に一緒にやるようにしていた。
とは言ってももそれほど家事は上手くないので、手伝いにはならない。
だが響子に比べればの料理は随分とましなほうだろう。

「友達、誰を呼ぶの?」
「・・・・・・夏とか。ひなたとか。」

数えるほどしかいないのは変わらないが。
それでも呼ぶ相手がいるのは良い事だろう。
響子は微笑んで頷き、今日の夕飯を考えた。
その時、突然の顔が青ざめたのを響子が捉える。

「どうしたの?」
「響子さん、やっぱり、今度にしよう・・・。」

食べ掛けの弁当を置き、は立ちあがる。
箸をしまった事から、もう食べる意思はないと言う事が伺えた。
響子は不思議そうにその光景を眺めていた。

「これから会う相手に、私は処々にはいないって伝えて。」

弁当を手早く袋に包み、慌てた様子で窓枠に足を掛ける。
それとほぼ同時、保健室のドアの前に気配があった。
丁度が飛び降りた、その瞬間。
ドアが勢い良く開き、大声が飛び込んだ。

さん!今日外道高校に討ち入りに行きましょうよ!!」

満面の笑みで。
しかも、木刀に弁当箱を引っさげて。
恐ろしい事を口走る、亜諏羅太一。
響子は一瞬、大笑いしそうになった。

「・・・あれ、響子先生だけですか?」
「えぇ、彼女なら何処かに行ったわよ。」

処々にはいないといっても、彼はきっと探しに行くだろう。
どの道行く先は分からないのだから、どう行っても変わらない。
一度、きょろきょろとあたりを見渡した太一。
一応隠れていないかを探しているのだろう。

「そぉかぁ・・・残念だなァ。
折角だから響子先生、一緒にご飯食べましょう。」

居ないと悟ったらしい、太一は今までが座っていた場所に腰かける。
その光景が何故か面白くて、響子はとうとう笑い出した。

「なっ、どうしたんですか響子先生!?」

太一らしくない心配のしかたは、響子に対する時だけ。
彼は響子に、少なからず好意を抱いている。
響子がそれを知っているかは分からない。
だが確かに、太一が響子に接する態度と他の人に対する態度はまるっきり別人。
太一とてモテないわけではない、だからこそ余計に目立つ。

「・・・いいえ、あの子に友達が多くて嬉しいな、って思ってたのよ。」

小さな頃から、殆どの時期を共に過ごしてきた。
幼い頃のどんなことも、大抵知っている。
は、昔から変わり者だった。
だからあまり他人とは接する事のない、一人で居る事の多い子だった。
でも、違った。確かにちゃんと、築いている。

「・・・・・響子先生。
僕は違いますよ、僕はさんの友達ではないんです。」
「え・・・?」

思わず、響子は声をあげる。
太一は薄笑いをして、窓の外をじっと眺めていた。
響子は不意に思う。この子は、実はの行く先が分かっているのではと。

「友達、言いようによってはそうでしょう。」

その言葉がやけに切なくて。
何故か箸が止まってしまった手の力が抜けた。
からん、と箸が机に転がる。

「でもね、響子先生。
僕にとってあの人は友達ではないんです。」

今まで、が一人ではないとき、大抵太一が近くに居た。
どんな友達と遊んでいる時も、どんな行事のときも。
が誰に関わっていてもどんな事件に巻き込まれていても。
太一が傍らで見守っていないときはなかった。
それを見て響子は、勝手に太一はの一番の友達だと思っていた。
しかし、それは勘違いだったのだろうか。

「・・・僕はね、あの人の・・・。」

一際、強い太陽の日差しが窓から注がれた。
眩しそうに、太一は目を細める。
言葉が発されたのと、その動作と、どちらが先か。

「足枷、なんですよ。」

響子はその太一の表情を、ただ、ただ、眺めるしかなかった。
言葉の意味をとらえる事も出来ないまま。
ただ、呆然と、漠然とした切なさだけを、受け止めて。





***





「処々まで来れば・・・・・・。
・・・・・って言うか処々まで来ちゃったって言うか・・・。」

目の前には小さな湖、その中心には聖純女学院と書かれた学校。
気づけば随分遠くへ来てしまったものだ。
寧ろメルヘンの国まで来てしまった感覚が。
この様子では午後の授業には間に合いそうもない。
しかも弁当も食べかけで、どうすべきか。
せめて太陽学園に行けば良かったのだが、それでは追いつかれる可能性があった。

「だからって・・・なんで知り合いのいない聖女に。」

外道高校にはアキラが、太陽学園には恭介達が。
パシフィックにはロイやティファニー、五輪高校には夏。
それぞれ、少なくはあるが友人がいる。
しかし近隣で、とは行ってもある程度距離はあるが。
聖女では一人も知り合いがいなかった。

「・・・アキラに会いに行こうかなー。」

ゆっくりと歩き出し、は空を仰ぐ。
不意に眠気がを襲った。
ぐらりと歪む視界に一瞬崩れかけたが、塀に手をかけて踏みとどまった。

「・・・・・・寝不足。」

最近、著しく睡眠が足りていない。
理由は3日間1時間ほどしか寝ていないからだ。
何故かといえば簡単、太一が毎日のようにの家でゲームをしている。
太一の家は厳格で古風の良家、ゲームなどは許されていない。
だから親のいないの家に転がり込んでは、何時も遊んでいた。
その代わり食事の用意をしてくれるため、助かってはいるのだが。

「昨日も新作ゲームを最短クリアだとか言って・・・。」

下手すれば眠ってしまいそうだ。
暫くはそのまま塀によしかかる体制でぼうっとする。
目を閉じないように、まぶたに力を入れながら。

「・・・?」

突然、風に乗って運ばれてきた、心地よいメロディー。
聖女の校舎から、微かに流れてきている。
この音は、ヴァイオリンだろうか。
興味津々で、は聖女に入っていく。
眠気など既に忘れた様子で、生徒に見つからないように。

「・・・・・う・・・ゎ。」

音楽室に近づき、ゆっくりと戸を開ける。
その時、思わずは感性を上げ、手で口を抑える。
ドア越しで、しかも遠くから聞いていた音さえ美しく響いていたのに。
間近で聞いたその音は、何にも勝る心地よさで。

「トロイメライだぁ・・・。」

母が子に聴かせる子守唄。
安らかで優しい、けれど切ない音が、の耳に流れつづける。
こんなに安心できた時間が、今まであったろうか。
こんなに切なく胸を苦しめるメロディーを、今まで聞いたことがあったろうか。
聞きほれていて、は気づいていなかった。
自分の手の中に食べ掛けの弁当があることを。

「あ。」

とすんっ、と音がして、弁当箱が地に打ちつけられる。
中身の心配もあったが、何より今の音で演奏が止んでしまった。
折角綺麗な音だったのに邪魔してしまった、とは後悔する。

「どちらさまでしょう?」

半開きだったドアが完全に開き、そこから人が出てくる。
今の演奏者だろう、手にはヴァイオリンが握られていた。
丁寧に整えられ輝く髪、慈愛に満ちた瞳。
すらりとした手がヴァイオリンを優しく抱きかかえている。
上等の、高級人形のように、美しい人。

「あ・・・ごめんなさい、あまりに素敵な音が聞こえたものですから。」

他校の生徒で、しかも無断に入ってきて。
勝手に聴いていた自分が、怒られない理由などない。
はどう怒られるか考えながら、女性のほうを向いた。
逃げる必要などない、少なくとも、この人からは。
雰囲気でしか判断できないが、はそう感じた。

「まぁ・・・ありがとうございます。
宜しかったらどうぞ、中にお入りください。」

予想外の対応に、は一瞬戸惑う。
しかし確かに、こんなところで立っていては不信だ。
私服ならまだしも、他校の、それもジャスティス学園の制服なのだから。

「あら、貴方・・・ジャスティス学園の方?」
「あ・・・はい、そうです。」

不信だろうか、とは苦笑いする。
本来なら太陽学園の制服だったというのに。
せめてそれならば、まだ不信ではなかっただろうか。

「あの、良かったらさっきの曲の続き聴かせていただけますか?
とっても素敵だったので、是非、最後まで聞きたいです。」

そう言うと、女性は嬉しそうに微笑んでヴァイオリンを手に取った。
先ほどの続きから流れ出す、美しい音色。
は暫く、じっと演奏の様子を眺めていた。
だが次第に、うつら、うつら、と椅子の上で体が揺れだす。
瞼が完全に閉じてしまい、の体は大きく崩れた。
がたんッ、と大きな音がして、あたりの机も共に崩れる。

「・・・・・・ごめんなさい。」
「いいんですよ、お怪我は?」

クスクス、と笑う音が聞こえる。
目の前で笑う女性に、は照れたように顔をゆがませた。
なんとも言えない、この安心感、久しく感じていない雰囲気だ。
そう、まるで、母性とも言えるこの暖かさ。

「目の下に隈があります、寝不足ですか?」
「ちょっと寝つけない理由がありまして・・・。」

それより何より、折角弾いてくれていたというのに寝てしまったのが悔しい。
心地よい音だったと言えば聞こえは良いが、子守唄代わりにしてしまったようで申し訳がない。
だが女性は心配そうにの手を握り、端整な眉を歪ませて言った。

「それは大変ですわ。
宜しかったらお悩み、お聞かせ頂けませんか?
私で宜しければお力になります。」
「いや・・・たいした事じゃないんです。」

本当に、こんな事をこの人に聴かせるのはあまりに大した事ではなさすぎる。
は苦笑いを浮かべ、眠そうに目をこすった。
しかし女性はの頬を、壊れやすい物を扱うかのように優しく触れて言った。

「けれど、貴方にとっては眠れないほど深刻なお悩みなのでしょう?
だったら、たいした事ではありませんわ。」

他人気遣うその姿が、まるで美しい音色のようでありながら。
その裏に隠された切ない音が、の耳について離れない。
あんなに胸を締め付ける苦しい切なさは何なのだろう。
この、優しさに満ち溢れた女性を何が閉めつけているのだろう。

「・・・どうなさいました・・・?」

じっと、女性を見上げる
思わず首をかしげる女性の頬に手をあて、はそっと撫で上げた。

「貴方はどうしてそんなに悲しそうな目をしているの?」

こんな目を、は一度見た事がある。
何時だったか、そんなに昔ではなかった気がする。
中学くらいの時期、そう、彼だ。
一昔前の亜諏羅太一と同じような悲しい目をしている。

「・・・何故、です?」
「貴方の目は・・・何かに縛られて抜け出せないでいる人の目だよ。」

気づかぬうちに、の両手が女性の両頬に当てられている。
目を、背けられない、真っ直ぐにいる、その目を。

「・・・貴方は・・・。」

何かを言いかけて、女性は言いとどまる。
それから少しばかり俯いて、眉間にまゆを寄せた。
ははにかんだように笑って、両手を離す。

「私は。貴方の名前も、教えて?」

見ず知らずの、会ったばかりの人間に、そんな事を話せというのは難しい。
時にそれは何よりこくなときもある、例え他人ではなかったとしても。
それを強要するほど、は残酷ではない。

「霧嶋・・・霧嶋、ゆりかです。」

霧嶋ゆりか、はその名前を反復する。
そして手を差し出して、嬉しそうに笑った。
握手を求められているのだと判断したゆりかは、同じように笑って手を握る。

「ゆりかさん、またヴァイオリン、聞かせてくださいね。」

は立ちあがって、弁当箱を持ち上げる。
そして急ぎ足でドアから出て、家に戻ろうとした。
もしゆりかが嫌だと言えば、もう来ないようにしよう。
そう思いながら、午後をすぎた太陽を見上げ。

「・・・また、いらして下さいね。」

後ろから聞こえた、確かな声。
は嬉しそうに笑い、駆け出す。
家に帰って、夏の作った弁当を食べよう。
その後は家に鍵をかけて、ゆっくり眠ろう。


続く。

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